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心理学ワールド 81号 特集 チンパンジーの絵から 芸術の起源を考える 齋藤 亜矢(京都造形芸術大学) | 日本心理学会

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Academic year: 2021

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9 ヒトと動物の芸術心理学 チンパンジーの絵と子どもの絵  アイの絵とパンの絵を見まちがえることはな い。くねくねの曲線で画面全体を埋めつくすア イと,短い線を丁寧に並べて色ごとにぬりわけ るパンとでは,画風が全然違うからだ(図1)。 チンパンジーの絵の話である。  チンパンジーなどの大型類人猿は,筆記具を 扱って絵を描くことができる。ペンを与える と,子どもがはじめてペンを手にするときのよ うに,最初はペンを口にいれたり,ふりまわし たりする。でもあれこれ試すうちに紙とペンの 対応づけを体得し,紙の上にペン先をつけて水 平に動かし,線を描けるようになる。描き方に 個性があるということは,まるっきりでたらめ でもなく,それぞれ描線をコントロールして描 いているようだ。  絵を描く心の基盤とはなにか。芸術する心は なぜ生まれたのか。系統発生と個体発生,つま り進化と発達という二つの視点からアプローチ している。進化の隣人であるチンパンジーと人 間の子どもの絵の研究をはじめたのは,東京藝 術大学の大学院にいたころ。京都大学霊長類研 究所の共同利用研究制度を利用して,林美里 さん(京都大学霊長類研究所),松沢哲郎先生 (現・京大高等研究院),竹下秀子先生(現・追 手門学院大学)とおこなった研究だ(図2)。  人間の場合,偶発的ななぐりがきにはじまっ て,少しずつ描線をコントロールできるように なり,平均3歳で顔などの表象(なにかを表し た絵)を描くようになる。しかしチンパンジー は,描線をコントロールして個性のある抽象画 京都造形芸術大学文明哲学研究所 准教授

齋藤亜矢

(さいとう あや) Profile─齋藤亜矢 京都大学理学部卒業。同大学院医学研究科修士課程修了。東京藝術大学大学院博 士後期課程修了。博士(美術)。日本学術振興会特別研究員,京都大学野生動物 研究センター特任助教,中部学院大学准教授等を経て現職。専門は芸術認知科学。『ヒトはなぜ絵を描くのか: 芸術認知科学への招待』(岩波書店),『人間とは何か:チンパンジー研究から見えてきたこと』(分担執筆,岩波 書店),『脳とアート:感覚と表現の脳科学』(分担執筆,医学書院)など。

チンパンジーの絵から

芸術の起源を考える

図1 チンパンジーのアイの絵(左)とパンの絵(右)では画風が違う(齋藤 , 2014) 図 2 パルが絵を描く様子(撮影:野上悦子)

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10 見立てて,足りない部分をつけ足して描くのだ。  2歳後半のこの時期は,子どもの語彙が爆発 的に増える時期でもある。言葉の体系が整って くることと,この見立ての想像力の発達に関連 がありそうだ。  わたしたちは,空の雲のようなあいまいな形 にも,さまざまなモノを見立てる。言葉をもっ た人間は,目に入るモノをつねに言葉でラベル づけして見ているといわれる。  ラベルづけをするメリットは,ほかの人に伝 えやすいということだ。実感したのは,チンパ ンジーの絵にタイトルをつけてみたときのこと。 アイの描いた絵が「カラス」に見えて,色合い から「夕暮れのカラス」と名づけた。そうした ら,あとで思い出したり,他の人にも伝えたり しやすくなったのだ。これが,「何年何月何日 に描いたアイの赤と黒と黄色の絵」だったら, すぐには思い出せないし,人にも伝えにくい。  旧石器時代の洞窟壁画にも,見立ての想像力 を駆使した絵がたくさん見つかる。たとえばス ペインのアルタミラにも,岩の凹凸一つひとつ をバイソンに見立てて描かれた絵がある。よく 見ると,岩の亀裂を輪郭線の一部に見立てた箇 所も少なくない。  人間は言葉を手に入れたことで,見立ての想 像力を手に入れた。それこそが,絵を描く心の 基盤の一つであり,芸術の起源における大事な カギなのではないかと考えている。 見立てと概念  その「見立て」について,もう少し考えてみ たい。たとえば壁のしみに顔を見つけるとき, わたしたちは,ここが目で,ここが鼻で,ここ のような絵を描くのに,表象は描かない。  そこで,チンパンジーがなぜ表象を描かない のかに着目して,こんな実験をおこなった。チ ンパンジーの顔の線画から,目などのパーツを 段階的に消しておいて,そこにらくがきをして もらったのだ。はたしてチンパンジーは,足り 「ない」目を補って描くのだろうか。  6人のチンパンジーに試してもらったが,か れらが「ない」目を補うことは一度もなかっ た。その代わり,顔全体にしるしをつけたり, 描かれて「ある」方の目をぬりつぶしたり,顔 の輪郭線をなぞったりした。  人間の場合,2歳後半以上の子は,「あ,お めめ,ない」などといって,自発的に「ない」 目を補った(図3)。でも,それより小さい子 どもたちは,描かれていない目はスルーして, チンパンジーと同じように,顔全体にしるしづ けしたり,描かれて「ある」目をぬりつぶした りしたのだ。  今ここに「ない」ものを想像するという認知 的な特性の発達が,表象を描くことに関わって いる。そんなことがみえてきた。 言葉と想像力  人間の子どもに描画模倣課題(単純な図形を 模倣して描く課題)をしていたとき,こんなこ とがよくあった。先に二本の縦線を描いてみせ ると,そこに横線を何本も交差させて,「せん ろ」という。円を描いてみせると,なかに小さ な円をいくつか描きいれて,「アンパンマン」と いう。白紙の上には,なぐりがきをしている子 でも,先にちょっとした線や図形を示すと,表 象を描きやすいようだ。手がかりにモノの形を 図 3 チンパンジーは,描かれて「ある」部位をなぞり(左),人間の 3 歳児 は「ない」部位をおぎなった(右)(Saito, et al., 2014) が口,というように,しみ を部分ごとに顔のパーツと 関連づけて見ている。  顔というのは,土台が あって,そのなかに目が二 つあって,鼻があって,口 がある。モノの概念,つま り「表象スキーマ」にあて はめて見ているのだ。

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11 ヒトと動物の芸術心理学  子どもの絵は,ちょうどその表象スキーマを 表したものだ。見たモノを描いているのではな く,知っているモノを描いている。ただの丸を 目,目,口,と組み合わせるだけで顔になる, とても記号的な絵だ。そこに,鼻がくわわり, 耳がくわわり,女の子ならリボンが,パパなら おひげがくわわる。発達にともなって概念的な 理解が進むと,描かれる要素もだんだん増えて くる。  頭足人が生まれる理由もその延長にありそう だ。子どもがよく描く,顔に直接手足が生えた 人物画だ。人物のスキーマとして,手足のよう なわかりやすい概念の要素はすぐに描かれる が,胴体のようなむずかしい概念の要素は,く わわるのが遅いのだろう。  子どもたちは,ほかにもさかさまの絵などの 不思議な絵を描く。それらもやはり概念の発達 と関係していると考えている。 描くことのおもしろさ  さて,チンパンジーの絵の話をしていると, ゾウの絵のことを聞かれることがある。テレビ やインターネットで,ゾウが,花や木,自画ゾ ウまで描いているのを見た。表象を描かないチ ンパンジーよりも,ゾウの方が賢いのでしょう かと。  あのゾウたちは,じつは隣にいるゾウつかい の指示にしたがって描いているのだそうだ。ゾ ウつかいがゾウの耳を軽くひっぱるなどして, 一筆一筆指示を与えている。ゾウが指示どおり に細かく筆をコントロールできるのはすごい。 でもゾウつかいがゾウをつかって描いた絵とい うべきだろう。ゾウが自由に描くときには,や はりなぐりがきのような,抽象画のような絵を 描くようだ。  チンパンジーには,芸として描かせているわ けではない。食べ物による報酬がなくても,筆 記具を渡すと絵を描く。絵を描くという行為 自体に報酬性があるということだ。絵筆を扱っ て,紙の上にさまざまな痕跡がのこるのを楽し んでいるようにみえる。  なぐりがきをはじめたばかりの子どもも同じ だ。ペンが紙にあたって小さなしるしが残るだ けで,子どもは,あ,とうれしそうに声をあげ る。自分が筆記具を動かすと,それが目に見え る軌跡として現れる。いわば自分が世界を変容 させる感覚をおもしろがっているのだろう。  人間の場合,そのおもしろさはやがて,描線 にモノのイメージを見立て,紙の上にモノを生 み出す喜びに変わる。子どもが描くとき,まわ りには,おとなやきょうだいがいて,イメージ を他者に伝え,共有できる喜びもくわわる。実 在しないオバケなど,自分の頭のなかだけにあ るイメージさえ,可視化して他者に伝えること ができるのだ。子どもが絵を描くときには,絵 を介した言葉のやりとりも頻繁におこなわれる。  つまり,描く過程のおもしろさから,描いた 結果としての絵のおもしろさへ,そして,私的 なおもしろさから,社会的なおもしろさへと変 わっていく。  チンパンジーやなぐりがき期の子どもたち が,描く過程を私的に楽しむのは,感覚運動的 な遊びに通じるものだ。  チンパンジーが道具使用をすることは知られ ている。野生でも,石で木の実を割って中身を 取り出して食べたり,木の棒で巣のなかのアリ を釣って食べたりする。そのほとんどが,特別 な食べ物を手に入れるとか,食べ物を効率よく 手に入れるなどの目的のある道具使用だ。  しかし,飼育下のチンパンジーたちを見てい ると,かれらが目的なくモノを扱うことがよく ある。たとえば長靴を置いておくと,長靴をく にゃくにゃたわませてみたり,手を中につっこ んでみたり,足に履いて歩いてみたり,木の棒 を出し入れしてみたりする。モノに興味を持ち, 明確な目的を持たずに,いろいろな行為を試し, 新たな行為の可能性を見つける。探索と発見を おもしろがっているようにみえる。そしてそれ を「おもしろい」と感じるからこそ,道具とし ての使用方法を見つけることができるのだろう。 おとなになると絵が苦手になるわけ  描くことは本来おもしろい。でも小さいころ はおえかきが好きだったのに,小学校,中学校, チンパンジーの絵から芸術の起源を考える

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12 と年齢が上がるにつれて,絵が「苦手」になっ てしまう人が多い。「苦手」の理由を聞くと, 上手に描けないからという人がほとんどだ。お そらく,上手下手という基準で絵を評価されて きたことに問題があるのだと思う。  子どもの絵をほめようとして,つい使ってし まうのも,「上手」という言葉ではないだろう か。評価は悪いことではないし,大きなモチ ベーションにもなる。でも,評価の基準がせま いことが問題だ。  たいてい「上手」と言われるのは,見たモ ノの形をより写実的にとらえた絵のことだ。で も,写実的な絵は,子どもが描くような記号的 な絵の延長にはない。描こうとするものがまっ たく違うので,むずかしくてあたりまえなのだ。  先に述べたように,記号的な絵は,知ってい るモノを描く絵であり,頭のなかにある表象ス キーマの要素を一つひとつ表すような絵だ。そ れはつまりモノの「認知(認識)」を表出して いる絵ともいえるだろう。それに対して写実的 な絵では,光の配列などのモノが認知される前 の視覚情報,つまり「知覚」を表出しようとし ている。  デッサンなど,見たモノを写実的に描く練習 は,概念にとらわれずに,知覚的にモノを見る 重要なトレーニングなのだと思う。でも,写実 を極めることが,芸術の本質ではない。美術教 育の最終目標でもないはずだ。  では,子どもの絵をどう評価し,何を目指せ ばいいのか。「上手」の代わりに推したいのが, 「おもしろい」だ。「上手」と違って,「おもし ろい」に優劣はない。だれが見ても「おもしろ い」という絶対的な評価もない。目のつけどこ ろがおもしろい,アイデアがおもしろい,色の 組み合わせがおもしろい。さまざまな視点から の評価ができる。  そもそも,モノの見え方やとらえ方は,人に よって結構違う。それまでの経験が違えば,積 みあげられてきたスキーマが異なるからだ。絵 には,そうしたモノの見え方の違いが垣間みら れる。そのおもしろさをひきだし,味わう姿勢 が大事だと思う。 表現の生まれた背景  「おもしろい」を感じるのは,今まで持って いた自分の概念を広げたりくつがえしたりする ような新しいものごとに出会うとき。いわゆ るアハ体験とも通じる,発見の快だ。「見立て」 がおもしろい理由もそこにある。  そして「おもしろい」こそ,芸術の本質の一 つでもあるのだと思う。現代アートの山口晃さ んは,「私がおもしろいとか,大切だとか思う ものを誰もそう思わない。だからそう思えるよ う表してやる,それが表現」だとおっしゃって いた。  アーティストは,これまでにない独自の切り 口で世界のおもしろさを切り取ってみせてくれ る。すぐれた作品に出会うと,既存の概念がこ わされ,新たなモノの見え方に気づかされる。  アール・ブリュットが注目されているのも, 既存の概念を飛びこえた「おもしろい」があふ れているからだろう。日本では,障害者のアー トという意味で使われるケースも多いが,本 来,作者の障害の有無は関係ない。正規の美術 教育を受けていない人が,既存のモードに影響 を受けずに自発的に生み出した表現のことだ。 まさに作家が自分独自の「おもしろい」を一心 に追求した表現なのだと思う。  芸術の起源とは,「美しい」と感じる心の起 源のことだと考える人が多いかもしれない。で も,鑑賞ではなく表現の視点からみたときにカ ギとなるのは,意外と「おもしろい」ではない かと思っている。 文 献

Saito, A., Hayashi, M., Ueno, A. & Takeshita, H.(2011) Orientation-indifferent representation in children's drawings. Japanese Psychological Research, 53 , 379-390.

Saito, A., Hayashi, M., Takeshita, H. & Matsuzawa T.(2014)The origin of the drawing arts: A c o m p a r i s o n o f h u m a n c h i l d r e n a n d chimpanzees. Child Development, 85 , 2232-2246. 齋藤亜矢(2014)『ヒトはなぜ絵を描くのか:芸術認知

科学への招待』岩波書店

齋藤亜矢(2016)チンパンジーとアール・ブリュット. 『図書』 806 , 22-26. 岩波書店

参照

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